鳥取市のランドマークとして聳える標高263mの久松山には、戦国時代の山城を起源とした城跡があります。
かつての鳥取城は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の兵糧攻めの舞台となった悲惨な歴史があります。
その後、江戸時代には池田氏の居城として32万石の禄高を有していました。
そして、現在は市民の身近な山として親しまれています。
特に、久松公園や二ノ丸での桜の花見、山頂からの鳥取砂丘、日本海などを見渡す展望が楽しまれています。
また、本陣山までの縦走路はよく踏まれた道を適度にアップダウンしながら歩いて行きます。
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久松山に登る
麓から久松山を望む
久松山の周辺には、石垣の下に建つ県立鳥取西高、鳥取県庁、県立博物館などがあります。
また、鳥取城大手門にあたる「中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)」や「擬宝珠橋」が当時の姿に復元されています。
長田神社から長田道に
今回は、県立鳥取西高の横にある長田神社の鳥居をくぐった先から登り始める長田道を歩きます。
なお、他にも中坂道や南坂道などいくつも登山道があり色々なバリエーションを楽しめます。
さて、鳥居を過ぎて長田神社横から山道に入ると、登り始めは木の根が這う緩やかな道です。
しばらく行くと小さな沢に置かれた鹿威しがあり、時折コーンという音が響いています。
この鹿威しの辺から木の階段が始まります。
なお、この階段の途中にハートの形をした石が埋め込んであり、地元新聞にも取り上げられたことがあります。
さらにこの先、本陣山への縦走路との合流点まで続きます。
すると、合流点手前の階段脇にタマゴタケが群生していました。
さらに進み、縦走路との合流点から山頂に向かう途中にある十神砦に立ち寄ってみます。
十神砦
さて、十神砦に立って見ると摩尼山から本陣山にかけての展望が広がります。
その昔、羽柴秀吉に兵糧攻めをされた時は、敵陣地の本陣山を見張っていたのでしょう。
久松山山頂に
さらに進むと二ノ丸から登ってくる中坂道と合流します。
ここが、本丸跡に向かう最後の石段です。
登り初めて約35分で山頂の本丸跡に到着しました。
なお、奥に見える一段高いところが天守櫓跡になります。
天守櫓跡から日本海を望みます。
空気が澄んで見通しの良い時は大山や隠岐の島が見えることもあります。
本陣山
本陣山への縦走路
久松山山頂で休憩した後、本陣山への縦走路を進みます。
先ずは長田道との合流点まで戻り、その先を直進します。
縦走路は、樗谷から本陣山への管理道に合流するまで続きます。
この道はアップダウンを繰り返しますがよく踏み固められていてとても歩きやすいです。
縦走路の終点、本陣山山頂手前の管理道から見た久松山です。
羽柴秀吉は、ここから敵陣の様子を伺っていたのでしょう。
栗溪神社に向かって
さて、下山は樗谷に向かって管理道を進み、途中で栗谷に向かう山道に入ります。
山道の要所々々には、案内板が設置してあり迷うことはありません。
そして、道標に沿って進んで行くと栗溪神社のある所に下りてきました。
おわりに
久松山は、二ノ丸から最短距離で登る中坂道であれば20分程度で山頂に立つことができます。
そして、山頂では鳥取市内や日本海を一望できます。
また、春の桜や秋の紅葉が楽しめることから行き交う人も多い山です。
麓のお堀端では、令和元年11月から復元工事をしていた鳥取城大手門にあたる「中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)」が令和3年春に完成していますので、お掘りに掛かる擬宝珠橋と併せて是非見てみて下さい。
また、「るろうに剣心」のロケ地にもなった、国の重要文化財「仁風閣」も見ごたえがありますのでオススメします。